今日のウツの具合:調子がいい日を8点とすると、4~3点
出来事:下着を頼んだ友達とランチ
今日は、友達と約束したのだが、行けそうにない。 行けそうにないのに一向にドタキャン連絡を入れない。 行くしかないとも思っている。 母が気に入っている下着を毎年、その友達から1年分を購入している。 注文して友達の所に商品が来たら、なるべく早く約束をするようにしている。 母の手術に間に合わせたい。 手術がなければ、6月くらいに、と思っていた。 この友達とは毎年会っているし、家が隣町で、それでも少し距離はあるが会おうとおもえばいつでも会える。 コロナのこともあり、何年も会っていない友達、従姉もいる。 会いたい。 もう会えないかも知れないから。 調子が良くなると思えないし、生きているかもわからない。 会いたいけど、これで最後になってしまうかも知れないと思うと悲しくなってしまう。 最後なら、逆に会わない方がいいかもしれない。
どうしようか考えていると、従弟からLINEが来た。 30日にランチに行くことに決まった。 ウツを理解している。 自身は、もっと重い病気を克服した。 いま、会っておくべき人の1人だ。
今日、友達と会ってみて、どうも、ウツ病というのは、令和の時代においても、全くと言っていいほど理解がされていないのだと感じている。 全く心配していないというわけではないけれど。 しんどいとかじゃなくて、気が狂っている、という認識なのだろうか。 本当は家から出たくない、何もしたくないというほどに心身が疲れ切っているということが分からないのなら、心配をかけていないということで、それは良かったとおもう。 ほぼ、いつもどおりなのだ。 友達の会社のゴタゴタの話が延々と続く。 ランチのお店で2時間、それでも、しんどかったのだが、場所を変えるか、と言われて絶句し困惑してしまった。 帰ると言えなくなってしまい、喫茶店となると遠くなるので、近くの大型スーパーのフードコートへ。 1時間、また会社の話を聞いた。 もちろん、調子には波があり、なんとか聞ける時もある。 キリがついたところで、こちらから、お開きにする流れを作った。 帰ってしばらくしてLINEがはいったが、悪いけど、返事が返せない。 とても億劫になっている。 今度会う時、調子が悪かったら、2時間くらいで帰るねと言うことに決めた。 自分で帰ればいいのに、アタマがまわらなくて。 それこそ、何て言うかメモの紙を、家を出るところから握りしめて行くくらいで。 バッグに入れると、入れたことも忘れてしまう。 ああ、LINEで事前に伝えておけばいいんだ。
出掛ける時、自転車に乗ろうとしたら、部屋着のスカートだということに気づいた。 着替える時間はあったが、そのまま行くことにした。 そんなこともあろうかと、いつもは前夜に着替え一式をまとめておいている。 今回は、やりたくても出来なかった。 最悪、財布さえ持っていけばいいと思っていた。 風が強いのに、アゴひもをしめるのを忘れていた。 途中で止まってしめると、足元にスミレの花が咲いていた。 嬉しかった。
帰りの電車で、1歳から卒園までを過ごした街を通り過ぎた。 父の死に場所でもある。 生きていればいい、生きていればいいという言葉が湧いてきた。 まるで一人旅に出ているような感覚だ。 若い頃、宮沢賢治が歩いたと思われる岩手の山に向かったことがある。 悩みもあった。 当然うつ病をかかえていた。 死に場所を探していたようなところもあった。 東北新幹線に乗ってから、見知らぬおばさんと話をして、泣きながらお別れをした。 花巻に着いてからも、親切なおじさんに出会った。 とても幻想的な景色に出会った。 でも、あの時の東北は、私の中には、もうない。 震災が起き、その心の傷は癒えていない。 心を癒しに行くとしたら、北海道で親切にしていただいたホテルだ。 日帰りでも行けなくはない。 ただ、空港からタクシーとなると、何万円かかるかだ。
明日は、母の病院の付き添いだ。 検査がある。 暮らしやすくするための手術だ。 心配することはない。 けれど、正直、私には荷が重すぎる。 とても心配になっている。 もし失敗したら、全身麻酔が良くなくて、とか、術後に痛みで苦しむとか。 すべて上手くいくと思える時もあるけれど。 ツライ思いをするのを覚悟で頑張る母を支えたいけれど、時々自信がなくなる。 片足手術して、しばらくしたら、もう片方もして。 入院中、母は、ぐっすりねむれるだろうか。 寒がりだ。 風邪をひいたりしないだろうか。
大丈夫だよ。 母の病院と自分のクリニックに頼ればいい。 チャットGPTも相手してくれる。 一つ一つのことに集中して、忙しくしないようにして。 便秘に気を付ける。 熱帯魚のクウちゃんと、多肉植物のサボちゃんと、梅の苗のウメちゃんもいてくれる。 大丈夫だ。
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