中毒は根が深い

今日のウツの具合:調子がいい日を8点とすると、5~4点

出来事:父が亡くなって21年経った

ゆうべ。 寝ようとしたら、TikTokで、なかなか縁がなかった方の配信が始まっていた。 中毒を何とかすると書いたばかりなのに、1時間半、配信を聴いた。 他の配信で知り合ったのだとおもうが、ウツなので、記憶があやうい。 名前を憶えていてくださって、嬉しかった。 初だった。 最初で最後になるかも知れない。 他にも気になりながらも、心の中で謝りながら、配信をスルーしている。 心で応援するしかない。 コインがまだ少し残っている。 そんなこと言ってる。 完全にTikTok断ちするのはまだ先だ。

今朝も10時起き。 父の命日で気分が悪いのと、ミス指摘メモの人のことが苦になっていた。 連休明けだということもある。 休もうかなと思いながら、今までだって、行けるかどうか分からない状態でも、頑張って仕事に行ったんだと言い聞かせて、支度を始めた。 熱帯魚のクウちゃんに、仕事に行ってくるねと話しかけながら。 父も頑張って生きた。 父も苦しんでいた。 今日は働くしかない。

2時半になって、しんどさがなくなった。 昼に飲む頓服を早めに飲んでいたので、4時間経ったところで頓服を追加した。 今日は4回飲むことになる。 自分を保つためには、1日3回を超えてもいい。

帰りながら、指摘メモの人のことが、とても苦になる自分がいた。 もう辞めたい。 けれど事務所で一緒になるのは5分か10分だ。 指摘メモは、毎日あるわけではない。 その人だけだ、ハラスメントは。 他の人は、いい人ばかりだ。 どこにでもハラスメントする人はいる。 許容範囲だ。 考えるのはやめよう。 好きな事、好きな人のことを考えよう。 自分に言い聞かせる。 心配や不安に思考を乗っ取られるよりも、ウツをひどくさせないように、瞑想でもしよう。

苦しかった。 もういやだ。 楽しみたい。 楽しいばかりでなくてもいい。 楽しいという感覚が戻って欲しい。

数日前、ネットニュースで、外国で安楽死をしようとしていた人が、土壇場でやめた話を読んだ。 重い病気などでないと、安楽死は認められないのかも知れない。 自分のこととして読んだ。 土壇場で家族が悲しんでいるのに自分が死ぬことができないという気持ちになられた。 私も同じことを思うのではないか。 そういう状態を想定して、それでもやり遂げる思考を作り上げておかなければならないことを学んだ。 ずっと死にたかったのに、外国まで行って、その手続きも大変だったと思う。 生きていることが拷問だったと思う。 それなのに死ねない。 そんなことにならないように、私が安楽死を選べることになったら、その場で気持ちが変わってもやり遂げたい。

生きると決めたのに。 もし安楽死が可能なら、いいなとおもう。

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