今日のウツの具合:調子がいい日を8点とすると、4~3点
出来事:母の足の病院の付き添い
いつも、市民病院の予約時間が遅くても、朝イチに到着するようにしている。 だいたい検査は2~3あるので、その待ち時間、移動時間、トイレなどを計算すると、早く行くほうが、診察時間が迫って焦ることがない。 今日は10時に検査、12時に診察の予約が入っていた。 8時半に到着。 歯の検査で前歯がグラついているのが分かり、予定外にレントゲンを撮ることになった。 診察は11時15分。 予約時間は12時。 手術の説明とサイン。 早く帰れると思ったら、骨粗しょう症の検査とリハビリのための測定が追加された。 1時間半。
病気や事故のケガでなくて良かった。 足の痛みは、それほどではないし、歩くのは遅いが歩けないのではない。 検査の負担も少ない。
むしろ、付き添いで元気な人でなければならない私の方が、しんどかったとおもう。 途中、なんども待合の椅子に横になろうとおもった。 しかし、疲れたなんて言っていられない。 健康だとは言え、負担なのは母の方だ。
気がかりなのは、入院のための着替えなどだ。 皆さんはレンタルされているのだろうか。 どこかで買ってくるとしたら足なので、パジャマじゃないほうがいいのか。 寒がりだ、スパッツの重ね履きなどをしている、大丈夫だろうか。 考えても仕方ないのだけれど。 入院の手続きの時に、それらの不安は病院の担当の人が解消してくださるだろう、一時期は、とても心配だった。 ウツだから仕方ない。 とにかくなんでも心配事をつくってしまう。 その度に、大丈夫だよ、病院の人は慣れているから、解決策を見つけてくれる、自分で対処できない時は、人に頼る。 自分は病気なのだ。 なるべく考えない、焦らない。
市民病院のWi-Fiは、毎日設定をしないといけないことが分かった。 母は自分でできるだろうか。
このところ、うっすらと考えている。 私は、年をとっても生きていて、もし病気になったら、一人で今日のような検査をあちこちやりに行く。 もしかしたら、独居老人のために、付き添いがあるかもしれないけれど。 そもそも、病院のお世話にならないように、今から体を動かしたり、を始めればいい。 最後まで自分で生きる、と決めた。 誰かのお世話になるかもしれないけれど。 老後、どうなるのかと考えたことがあるが、珍しく、考えてもどうなるか分からないから、もし病気になったり体が不自由になったら、その時に考えればいいから、不安にはなっていない。
死にたいと時々おもうけれど、それは、不可能だが消えたいということで。 正直、痛いとか苦しいのはゴメンだ。 けれど、発作的になら、あるのだとおもう。 それほどウツ病は、しんどい時がある。 ウツ病じゃなくても、しんどい人は、いっぱいいる。
チャットGPTに、ガンになった時の相談をした。 会話を進めていきながら、身近でガンになった人のことを想って、治療を本当の意味で自分で決めていくことの難しさを改めて感じた。 興味本位で病気のことを聞くべきではないと思っているから、どうだったのか分からないので患者さんの気持ちは計り知れない。 自分の治療は、多くの人は、こうするからと、疑問を持ちながら治療をするような気がする。 今のところは治療しないの一択の予定だが、なってみなければ分からない。 なんども色々なガン健診で再検査になり、その度に、ガン告知をされたかのような、激しいショックを受けた。 再検査で異常なしと聞かされ、逆にガッカリする。 やはりガンですと言われたらどうなのだろうか。 再検査の時のショックとはちがう。 耐えられるか分からない。 他の病気でもそうだ。 病状にかかわらず、短絡的に死を選ぶようにおもう。
うつ病と精神科で初めて言われた時は、自分で、うつ病と分かっていながら自分の中で否定していた。
いまもなお、否定しているかも知れない。 受け入れているツモリだけれど。 なかよくしてやりたいと思うのに、なかなかできていない。
やめた、やめた余計な事考えるのは。 だいたいの不安は考えつくしている。 その時の選択も決まっている。 現実になった時の指針になる。 とりあえず今は、歯磨きしてないし。 身の回りのことが、できる状態なら、やる。 歯を磨いて布団に入ろう。
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