母の足の調子を心配している

今日のウツの具合:調子がいい日を8点とすると、5~4点

朝、耳の聞こえが少し良くなっていた。 仕事に行く時に泣いたので、聞こえが悪くなった。 仕事に行って、問題が起こってストレスになり、更に耳が聞こえにくくなった。

この2か月くらい、朝10時まで布団の中にいるが、最近は、あと1時間くらいは横になっていたいとおもう。 けれど、起きて支度をしていると、横になっているよりも気分が良くなる。 それも波があって、しばらくすると、しんどくなる。 昨日のように横になることは少ない。 横になりたくなる前に、出かける時間になるのだ。

仕事に行くと、引き出しに指摘メモの人の質問の紙が入っていた。 用が済んだら捨てていた紙がまだ必要だったようで。 捨てていいと思って捨てていた。 ゴミ袋の中を探したが見つからない。 あまりしっかり探さなかった。 なくてもいい。 どういう経緯で捨てたかを紙に書いて、指摘メモの人のエリアに入れた。 同じ引き出しの左右で共有している。

そうこうしていると、運送会社さんから、物の数が違うと連絡があった。 パニックになった。 今日で仕事辞めるしかないと思った。 要するに指摘メモの人が間違えて他のリストを見て、物を出してもらっていた。 社員さんに報告すると、運送会社とのやりとりをしてくださり、足りないものを出してくださった。 なんでも自分が失敗したと思ってしまうので、指摘メモの人が間違えたことに気づいたことと、なんとか失敗のまま終わらずに済んだことで、安心して涙が出てきた。 自分の失敗ではないから、自分を責めなくていい。 指摘メモの人から引き継いでいる仕事なので、それが、運送会社さんが早い段階で数が違うことに気づいてくださり、本当にありがたかった。

冷静になれば、間違っていることを一つ一つ確認して正していけばいいし、それが出来なくても、他に方法があるかもしれない。 そもそも、社員さんに報告して、丸投げしてしまえばいい。 そういうシステムだった、ここの職場は。 問題が起きたら自分で抱えなくていい。

よかった。 けれど、脳の細胞がたくさん死んだような感じがした。 かわいそうな私の脳。 私の脳になったがために、さほど有益ではないことで酷使されて。 問題は解消され、集荷に来てくださったドライバーさんにもお礼を言うことが出来てよかったのに、心は大きな傷が出来てスッキリしない。 なぜだろう。 指摘メモの人のミスだったからではないだろうか。 他の人のミスであれば、そういうこともあるよね、と思う。 いつも、どうでもいいことでも怒っている書き方で責め立ててくる指摘メモの人。 私が知らないところでも、色々ミスしていると聞く。 自分のミスには甘い。

スッキリしないけれど、誰のミスだとしても、会社のミスであり、それをお客様にご迷惑をかけずに済んだ。 良かったじゃないか。 気を付けていても、よくあることだ。 分かった、ウツの状態が良くないから、気分がスッキリしないのだ。

夕べ、寝る前と、今日仕事に行く時に、今日は、いい日になると唱えていた。 ウツの状態が悪いから気がつかなかったけれど、客観的に、いい日だとおもう。 よかった。 自分がミスしたとしても、いい日になったといえるような日々を送りたい。

昨日は、指摘メモの人と対立している人に、辞めてくださいと言おうと思っていた。 今日になってみると、今までなら絶対に言えないことなので、とてもいい案なのだが、対立している人には言えないかも知れない。 彼女は私を利用しているだけかもしれないけれど、私を心配してくれているとおもう。 利用するために心配しているのだとしても、そういう人に辞めろと言うのは、私にとって正解なのだろうかと思い始めている。 正解を求めているのではないのだが。 正解なんてないし。 昨日から、うっすらと無理かなと考えていた。

対立している人も、問題がある。 それを言ったら、私だって問題がある。 対立している人は、指摘メモの人がいなくなれば、それほど問題にならなくなるのではないか。 指摘メモの人よりも罪は軽いのではないか。

やっぱり考えてしまう。 やめよう考えるのは。 自分の事や大事な人のことならまだしも。

そうだ、今日仕事に行く前に、母が、かかりつけ医に、調子が悪い足を市民病院の先生に診てもらいたいと申し出て、診察が6日後に決まった。 手術をするかもしれない。 それで痛い思いをするかもしれない。 もっと早く、私が母の足のことを考えて行動できていれば、そんなに悪くすることはなかったかもしれない。 自分のウツのことで精いっぱいだった。 悲しくなる。

今日、気分が沈んでいるのは、母の足のことが心配だからなんだとおもう。

久しぶりに夜、8時まで起き上がれなかった。

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