頼れるひとと

今日のウツの具合:調子がいい日を8点とすると、6~5点。 頓服3回服用。

目覚ましで10時に起き上がった。 支度がしんどい。 仕事が出来るか不安になる。 ウツだから不安になるものなのだ。 考えないようにする。 今週仕事をしてみたい。 働いて調子はどうなのか。

ミス指摘メモがあった。 語尾にビックリマークが3つくらいあった。 やり忘れだ。 検索してみれば分かることなので、そんなに腹を立てるような、やり忘れではない。 指摘メモの人ではなかったころには、やっていないことだった。 私が、こうしておいたほうがラクかなと思って始めたことだ。

そもそも、やり忘れもミスも、腹を立てることではない。 見つけられて良かったとおもうものだ。 苦になるし、悪いなとはおもう。 ウツだと打ち明けている。 常識として、ウツだとミスが増える。 私は弱者だ。 それでも攻撃してくる。 恐ろしい。 チクチクと嫌がらせをされるようになって良かった。 他にも嫌がらせをされている人もいる。 その人も私も被害者で、連帯感のようなものがある。 その人から時々、指摘メモの人のことを聞く。 聞き役になれて、ありがたい。 被害者にならなければ、なんとなく仲良くしているような関係だった。 被害者になって、とてもしんどい時期もあったが、弱者を苦しめるような人と接しなくてよくなっている。 喜ぶべきことだ。

次は、指摘メモの人のことを忘れる段階に入ってきた。 完全に忘れることはできないにしても、忘れることが一番いい。 引き出しに指摘メモがあっても、仕事に集中する。

今日は、指摘メモが苦になって気分が悪くなったものの、最近のウツの酷さのことを少し忘れることができたのではないかと思う。 調子がどうなるかという不安が薄れた。 実際、今日はスッキリはしないが、ひどくなってから一番調子が良かった。

同僚に、とても助けられた。 話をする時間があって、ウツの不安状態が軽くなった。 思考が狭くなっているし、私の病気のことを理解してくれている人が傍にいてくれることは、ありがたい。 やめるべきだと思っても、続けたいのは、こういうことだ。 孤独だったら、とっくに辞めていただろう。

今日は、どういうわけか、指摘メモの人について結構な文字数を使った。 もうろうとしているなかでも、やはり、影響は大きいのだな。 受け止め方が上手くなっているから大惨事にはならないけれど。 忘れられなくても、忘れたいのではなく忘れようと思えるのは、気持ちに余裕があるからだ。 自分をほめよう。

同僚に、よく仕事を手伝ってもらっている。 すぐに頼る。 そして定時より前でも仕事が終われば帰る。 10分でも早く帰ることは、それだけでもラクなのだと思う。 お金も欲しい。 その10分は大きい。 けれど、頼る・ラクと、同僚の気遣い・やさしさの積み重ねは、私を1日でも長く、この仕事をさせてくれる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました