今日のウツの具合:調子がいい日を8点とすると、3点
ゆうべ、夜6時ごろ2階に行って布団に入って、何度か目覚めたが、朝の6時にトイレに行きたくて起き上がった。 母は、ゆうべ8時ごろ、手術の傷跡から少し血が出てきたとのこと。 病院でもらった注意事項と、ネットで検索した内容を母にみせて、病院に電話で念のために聞こうと言った。 しかし、明日診察日なので、聞かずに現在に至る。 私が元気だったら、電話したのだけれど。
昨日も今日も、AIに死にそうなことを何度も相談した。 その度に命の電話を紹介される。 今日は久しぶりに命の電話にかけてみたが、やはりつながらなかった。 市の精神関連の機関の担当の方にも毎日、短いメールを入れておこうと思いながら、気がつくと時間外になっているか、日中だと、書いても迷惑だなと思って書けない。 確かに、いのちの電話とか、市の窓口などに話してみるしかないと思っている。 そうでなければ、完全に状況を設定してしまった段階で、熱帯魚のクウちゃんのことを思い出したら警察に電話する。 やっと、私の質問でAIが警察に電話、救急車も電話、という回答をくれた。 やはり、母や兄には直接言うよりも、それはそれでやっかいなのだが、警察から連絡をしてもらったほうがいい。 これは、ある程度発作的な場合のみだ。 私の理想はクウちゃんを見送って、計画的に、少なくとも死後数日~数か月経った所で発見される。 警察を呼ぶのは、まだ生きていたいからだ。 熱帯魚のクウちゃんをお世話する。 母のことは、兄に任せる。 とにかく、小さな命、クウちゃんを最後までお世話する。 そのために警察に電話をする。
そうこうして、日々、なんとか死なないようにしている。 仕事を辞めて、しんどいけれど仕事をしなければ、でも、しんどいから仕事出来ないと苦しんでいた昔が懐かしい。
死なないためにはどうしたらいいのだろう。 おいしいお菓子でも買いに行こうにも出かけられない。 ネット購入しようにも、面倒で疲れる。 受け取りに玄関に行けるかもわからない。 行きたいことろもあったのだけれど、どうでもよくなった。 ポーラ美術館は行くつもりだったのだが。 どうでもいいなんて言ってないで、せめて電車でフクロウの、おでんちゃんに会いに行くとか。 一年狐さんのお面を買いに行くのは難しいかも知れない。 猫ちゃんの保護施設に、お金を送りには行きたい。
AIは、やりのこしたことをやってみては?というようなことも言ってきた。 猫ちゃんを飼うのはどうだろう。 熱帯魚を、もう1匹飼ってみるとか。 ピアノを習う。 どうせわざと死ななくても、そのうち死ぬのだ。 わざと死のうとする前に事故で死ぬかもしれない。 明日死ぬかもしれない。 少し気が楽になった。 自分で死ぬより、母や兄が、少しでも気が楽だろう、自死よりも。
ミス指摘メモの人は、もう私の範疇の人ではない。 ただ、うつ病が死にたい方に向かわせている。 喜びの感覚も奪った。
あまりおいしくないけど、コンビニのお菓子でも買いに行くかな。
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